既成の概念を壊せば、建築物も庭ももっと自由になります。例えば都会の真ん中に森をつくり、そこにツリーハウスをつくってもいい。現在設計中の別荘では寝室と水回り以外全て外に配しています。屋根はありますがキッチンもダイニングもリビングも全て外だから外構材を用いることもできる。どこからが中なのか外なのか……これまでにはなかったような空間ができあがるはずです。今後こうやって外の空間を生活に取り入れるためにも、メーカーにはさまざまな機能を持った建材や設備をどんどん開発してほしいですね。そうすることで、さらに生活の中で使いやすい空間ができますから。僕自身も、外と内をもっと曖昧にすることができるようなプロダクトに関わっていければと思います。
1974年広島県生まれ。SUPPOSE DESIGN OFFICE Co.,Ltd. 代表取締役。
大阪芸術大学准教授、広島女学院大学客員教授、穴吹デザイン専門学校特任教授。
近年オープンの「BIRD BATH&KIOSK」の他、「社食堂」や「絶景不動産」「21 世紀工務店」「tecture」「CAMP.TECTS」「社外取締役」「toha」をはじめとする多分野で開業、活動の幅も広がっている。
著書に『1000%の建築』2012/3、『CHANGE』2019/8、『1000%の建築 つづき』2020/5などがある。
https://suppose.jp/
2000年、広島で設計事務所「SUPPOSE DESIGN OFFICE Co.,Ltd」を設立し、現在は広島・東京・上海に事務所を構える谷尻誠さん。これまでに建築家として関わったプロジェクトは400あまり、住宅だけで100作品以上を数えます。一方、「絶景不動産」や「21世紀工務店」などそれまで業界の枠組みにとらわれない新しい仕組みを生み出し続ける起業家でもある谷尻さんに、その発想の源と思考の方法、そしてご自身の考える理想の庭についてお話を伺いました。
よりクリエイティブが磨かれる
パブリックなオフィス空間
「建築家の枠を超えている」とよく言われます。実際、建築家以外の仕事も多く手掛けているため最近では“建築が得意な起業家”を名乗っています。ただ目標の職業は“谷尻誠”。とりあえず谷尻に頼んでおけば何とかなるだろう……そんな存在になりたいと考えています。
現在、広島と東京に事務所があり東京事務所には一般開放した「社食堂」を併設しています。コンセプトは「スタッフの健康と社会の健康をデザインする」。我々の仕事は「考えること」を抜きにしては始まらないため、健康な体をつくる根幹である「食」を通じて細胞からデザインすることでポジティブな思考や良いアイデアを生みだし、より良い会社になっていけばという思いでつくったものです。またオフィスと店舗を区切る間仕切りのない空間からは、開放的でクリエイティブな発想が生まれます。
「オフィスはクローズな空間であるべきだ」という発想は誰かが決めたことですよね。昔の家は同じ空間を昼間はリビングとして使い、夜になると寝室として使うといったように、ひとつの空間でさまざまな用途を賄っていました。家の軒先に店があるなど、仕事と生活の空間も曖昧だったはずです。僕もここでは自分専用のデスクを持たず、食堂の一角にあるテーブルで打ち合わせや企画構想しています。一般利用者にとっても、設計事務所という場所を開放することで、建築やインテリアに関心を持つきっかけになるかもしれない。互いに影響をうけ合い新たな気づきが生まれるパブリックな空間があることで、より良い社会になっていくのではないかと考えたんです。
カスタマーの視点を持った
“スーパー素人”として
考える時、プロとしての視点でものを見てしまいがちですが “スーパー素人”であろうと日頃から心掛けています。依頼を受けるたびに「このプロジェクトによってどんな面が良くなるのか」「この建物を建てることにどんな意味があり価値が生まれるのか」とカスタマーの視点でその意味や意義を考えることでより共感を得ることができる。一方で依頼者である経営者の視点から効果効率を考える。顧客と経営者双方の視点を往復しながら考えることを大切にした結果、建築の枠を超えた総合的な仕事が増えてきたんです。
異なるもの同士を混ぜあわせて機能や要素を付加していくことで、これまでにないものが生まれるとも思います。例えば、尾道の複合施設「ONOMICHI U2」の場合は、サイクルショップと宿泊施設を融合させました。昔、自転車レース用の自転車に乗っていたのですが、自転車を外に停めていると食事をしていても心配で落ち着かなかった経験があります。尾道はしまなみ海道の起点ということで自転車旅をする人が大勢います。自転車を愛用している層であれば、かつての僕と同じように考えるはず。であれば自転車と一緒に泊まれるホテルは嬉しいし、建物の中で整備できるともっと喜んでもらえるはずです。整備している人同士、同じ趣味や思考を共有でき新しいコミュニティを育める……カスタマーの視点から思考を広げなければ、このようなコンセプトは生まれなかったでしょう。
解像度をあげることで
思考はより深められる
「考える」ことの重要性を考えるようになったのは独立してすぐの頃です。さまざまな建築家がいる中で、どのような存在であろうかと考えた時に、学歴や経歴では勝てる要素が見つからなかった。僕は小さい時あまり学校の勉強が得意ではなかったのですが、考えることは得意でした。有名な大学の建築学科を出ているわけでも、著名な建築家に師事したわけでもないけれど「思考を深めること」に学歴や経歴は関係ない。であれば、誰よりも考え抜こうと。
思考を深めるというと難しいことのような気がしますが、注意深く生活することだと思っています。僕自身、最初は意識して生活することを自分に義務として化しました。興味を持って物を見ることを意識し続けていると、いつの間にか無意識にできるようになる。意識の先に無意識があります。普段の生活の中で、人がどう感じるのか、どんな時にどんな行動をするのかと、常に思考の解像度をあげて観察することで、思考を深堀りできるようになる。それが「考える」ということであり、その解像度の高い思考こそが新しい発想につながるのだと思います。
最近では2020年6月にデザイン事例から家具や建材の情報を得てメーカーコンタクトまでできる、設計事務所やメーカー向けのプラットフォーム「tecture」を仲間とつくりました。シンプルに検索作業を減らし、ワンストップでほしい情報にたどり着けるようにするためです。建築家が行っている仕事の多くは調べ物であり、検索作業に時間を費やしています。本来であれば図面を描くこと、そのために考えることが僕らの仕事ですが、その時間を検索に奪われていました。「本業の時間を増やすには早く答えにたどり着ける場所が必要となる」そんな発想から、この新たなプラットフォームが生まれたんです。
愛でるためのものではなく
生活の中で活用できる庭を
昔から日本では庭を愛でるという文化が存在しますが、僕が庭を設計するなら愛でるだけでなく、庭も含めた全ての空間を生活領域として活用することを考えます。極端にいえば、生活全てを外でできればいい。アウトドアを体験したことがあれば、外でビールを飲み、食事をし、眠ることの気持ちよさは知っているはずです。なのに普段はなぜ家の中で生活しているんでしょうね。どうしてもっと外と中を横断しながら生活しないんだろう?
雪が降っている中でも無理に外にいるというような過酷な状況を強いるわけではありませんが、外で過ごすことでこそ見えるものがあると思うんです。僕はよくキャンプに出かけるのですが、自然の中に身をおくとさまざまなことを考えながら過ごす時間が増えます。利便性や安全性が行き届いた屋内と比較すると屋外は問題を抱えることも多いですが、その分よりよく快適に過ごすために工夫するようになり、それが身についていきます。
生活の中で考えることが多かったからこそ、昔の人には知恵があったのだと思います。思考が磨かれると同時に、自然への畏怖が生まれ、それによって丁寧に暮らすようになる。おのずから暮らしは美しいものになります。自分で考える力を身につけておけば、例えば今のように新型コロナウィルスに振り回されるような状況であっても思考停止するのではなく、自分なりの答えを出せる。庭を生活空間にすることで感覚を研ぎ澄まし、思考を鍛えることができると僕は思っています。
テクノロジーを活用して
外と内をもっと曖昧に
外での生活が昔のように過酷なものではなく楽しめると、外と内をもっと曖昧なものにできると考えます。僕の自宅は天井に冷水のパイプをルーバー状に通し夏は9度くらいの温度の水を循環させていますが、結露した水蒸気が下りてくるので、窓をずっと開けたまま網戸だけにしていても室内は常に24度に保てエアコンなしでも快適に過ごせます。こういうふうに自然を取り入れながら快適な空間をつくれるのは、現代のテクノロジーがあってこそ。実際、実験的に生活してみて、こうやってテクノロジーを用いて快適性をアップさせることができるのなら外での生活もいいと思いました。他にも高遮熱の冷暖房など、海外でよく見かける設備を用いて、水を循環させる部分も太陽光で蓄電池を使って冷やしてっていうサイクルができれば、さらに自然エネルギーだけで心地いい空間が生まれるのではないでしょうか。
コロナ禍のインタビューとなりましたが「不安はありますが、自分で考えることができれば、どんな状況であっても良い方向に導いていける」と谷尻さんは穏やかに話されました。最近ではアウトドアブランドも立ち上げるなど、ご自身の興味や楽しみをいかしながら仕事をする姿は、まさに新しい働き方そのもの。深い思考に基づいて行動するからこそ、軽やかに超えていけるのでしょう。「常識と呼ばれるものをいったん疑ってみることから新しいものが生まれる。その対象がなんであっても全く同じこと」という言葉は「庭とはかく在るべきもの」という概念を一度外してみることで、新しい「庭」が生まれることを示唆してくれました。