「世界」に目を向け、「未来」を見据え盆栽に魂と情熱を注ぎこむ 盆栽師 平尾成志

1981年徳島県三好市 生まれ
京都産業大学卒業後、加藤三郎 蔓青園弟子入り
2016年『成勝園』オープン
日本国内はもちろん世界各国に
盆栽の魅力を伝え広げるBONSAI MASTER
公式ホームページ:http://jp.bonsaihirao.net/

東福寺で出会った庭園にインスピレーションを受け「日本文化を継承したい」と思うようになりました。その後、盆栽会館で見た光景に幼い頃に遊んだ思い出を重ね、盆栽師を志したという平尾さん。名匠として知られる蔓青園の加藤三郎氏の最後の弟子として経験を積みました。独立後は、ひとりでも多く盆栽に興味を持ってもらうために、海外で「盆栽パフォーマンス」をスタート。日本に帰国後、数々のメディアに取り上げられるなど、活動の幅を広げてきました。世界規模で盆栽界の未来を見据える平尾氏の目に映る、庭とも共通項の多い盆栽という世界とは―――。

人と自然が作り上げるストーリー
一つひとつの盆栽に詰まった世界観

盆栽は、一言でいえば"人の心を豊かにするもの"です。自然界に存在するものに人間の手が加わり融合し、つくりあげていくことで、広い世界を凝縮。全体の佇まいはもちろん、幹の立ち上がりから枝の位置まで、細部をも楽しむことができます。盆栽には、樹齢70年、80年くらいの木も多く、一番古いものでは樹齢300年というものもあります。そういうものを相手にするわけですから、30年、40年先の未来をイメージしながら、今どう作りこむかが問われるのです。僕はまだまだですが、中には100年先の樹形を描きながら手を掛けていく人もいるほど。この小さな器の中に、どう収め、枝をどう配置するか。そうやって木のキャラクターを引き出していくのです。

針金を巻いて成型するときには、10年後にどう伸びるかを考えて「切り返すタイミングを見計らっておこう」「ここがトップの位置になるから早めに持ち上げていこう」などと計画を立てる。自然にゆだねるのではなく、自然に寄り添った表現をしながらもコンパクトに仕上げ、継承していく芸術です。先人たちが築き上げてきた職人の世界を継承しつつも、バンドやDJと組んで「盆栽パフォーマンス」を行っています。20分~30分という短い時間の中で演奏される音や会場の雰囲気に合わせて即興でつくりあげるんです。パフォーマンスでは、オブジェの骨組みになるメインと重要なポイント3点はあらかじめ決めておき、あとは自由にやっています。盆栽の皿をいくつも積み上げたり、考えられない方向に木を伸ばしたりと、あえて不安定さを強調することで一つのショーとして楽しんでもらえるよう、観客を喚起させることを意識。一つひとつの作品にストーリー性を持たせるなど、パフォーマーとして挑戦しながら、少しでも盆栽に興味を持ってもらう方法を考えています。

パフォーマンスをやるようになったきっかけは、盆栽という日本特有の文化であるにも関わらず、全然認知されていなかったから。弟子明け後の2009年、スペインにあるマドリードの盆栽園で3ヵ月間、技術指導することになったんです。これを機に、イタリアやアルゼンチンの盆栽園やイベントに呼ばれ、海外の愛好家向けに、盆栽のテクニックを見せるデモンストレーションを行うようになりました。ですが、これでは一般の人たちには盆栽の魅力は伝わらない……。そこで、いろんな国で知り合った人たちの協力を得て、ライブハウスやクラブの一角で一般の人たちに向けてデモンストレーションを行うようになったんです。

イタリアのミラノのライブハウスでのことです。バンドのクライマックスを迎えるタイミングに合わせ、メインの木の鉢を変えるという作業に入ったとき、バンド目当ての観客のスマホのカメラが一斉に僕のほうを向きました。このとき手ごたえを感じましたね。盆栽を知らない人でも、見て面白く感じてもらうことができる、これはデモンストレーションではなくパフォーマンスである、と気付いたんです。こういった海外での経験が、自分の進む方向に自信を与えてくれたと思います。日本の場合、海外で音楽やファッションに絡めて展開してから日本に持ち帰るほうが影響力が大きいですしね。

「真柏 樹齢120年」
「五葉松 樹齢70年」

日本文化を継承するために
盆栽師への道を歩み始めた日

僕にとって庭というものは、盆栽師になる以前からなじみのあるものです。というのも盆栽師の道を選んだ大きな転機が「庭」という存在だったからです。
大学時代、京都の東福寺を訪れ、庭園に足を踏み入れた途端、そのとき感じていた不安や悩みが払しょくされ、心身が浄化された気分になりました。「昭和初期に作られた庭園なのに、なぜこんなにも心に優しく響いてくるのだろう?」と不思議な気持ちになり、いつしか自分も日本文化を継承できる仕事につきたいと思うようになっていったのです。

その後、盆栽会館に行く機会があり、盆栽を見ていると実家の徳島県池田町で子どもの頃に遊んだ記憶が蘇ってきて、気がつくと無心に盆栽を眺めていました。その様子を見ていた盆栽会館の館長に「盆栽やりたい?」と声をかけられ、「やります」と即答したのが、盆栽師の道に進むきっかけ。その縁で、師匠にあたる故・加藤三郎氏を紹介されたんです。その当時、師匠は86歳ぐらいで、ほとんど目も見えない状態でしたが、僕の目をじーっと見て「盆栽はこれからどんどん世界に出ていかないといけない」と、それだけ言って出て行きました。師匠は日本盆栽協会や世界盆栽友好連盟を立ち上げた存在。数々の実績があり、すでに頂点に立ったように見える方が、常に「世界」を見ていることに感銘を受けました。

盆栽と向き合って過ごした5年間
細かな変化に気付けるように

蔓青園で弟子として修業した期間は5年間。盆栽は、教えて教わるものではないことに気付きました。一から手取り足取り教えてもらったという記憶はなく、雑用から一所懸命やってきただけです。3年目ぐらいから、5000本ほどの盆栽の水やりを任せられるようになって、少しずつ木のことが分かるようになりました。一日中、じょうろを持って、水をやるかやらないか悩みながら、盆栽を持ち上げてみたり、掘ってみたり。日記を見ていつ雨が降ったか確認するといったことを常にやっていましたね。
一日の終わりに日記を付けて振り返っていると、あの木に水あげたっけ?と不安になるときもありました。深夜、盆栽園に戻り、水やりのチェックをすることも。そのうち、単に"水かけ"だった行為が、"水やり"に変わった瞬間がありましたね。盆栽が乾いた状態かどうかが、スッと盆栽園に入ってパッと手に取ったらやはり乾いていた、と分かるようになるんです。

水やりで、一番重要なのは木のコンディションを分かってあげること。毎日、観察していると「なんか機嫌が悪いな」「いつもと表情が違うな」などと、微妙な変化にも気付けるようになります。生き物を相手にしているからこそ、しっかりと向き合うことが大切なんです。
三郎師匠の弟子として5年間、創作盆栽の活動を近くで支えながら見ることができたことが、今の活動につながっているのだと強く思います。

海外から日本へと舞台を移行
金バサミに込められた想いとともに

日本で初めて盆栽パフォーマンスを行ったのは、伊勢丹サロンでのオープニングです。それを機に、メディアに取り上げられることが増えるようになり、同時に盆栽が一つのパフォーマンスであるという認識も広がり始めました。瀬戸内国際芸術祭やフジロックフェスティバルなどで、パフォーマンスを始めとするインスタレーション作品を披露する機会も得られ、より多くの人に見てもらえるようになりました。

僕には、パフォーマンスの前に必ずする儀式があり、それは「金バサミ」を掲げて祈りを捧げるというもの。これは、三郎師匠から亡くなる前にいただいたもので、師匠が日本盆栽協会の理事を20年勤められた証に贈られたハサミなんです。最後の弟子として育ててくれ、今も見守り続けてくれている三郎師匠の期待に応えられるようにという想いを忘れないための儀式ですね。これからも「世界」を見据え活動していくのはもちろん、日本で開催されるラグビーワールドカップ、東京オリンピックなど、盆栽が文化の祭典に花を添えられたら素晴らしいのではないかと願っています。

新時代に合わせ進化し続ける
盆栽に庭との共通項を見る

実は、盆栽は純和風の庭園には合わないと思っています。なぜかと言うと、借景を意識した庭園というものは、一つの縮図を考えながら、どこからでも見えるような奥行きをつくっていくので、正面がありません。一方、盆栽のように小さなものに世界観を凝縮させるものは、中景から遠景の景色で楽しむのが似合います。それが庭に入り込んでしまうと、双方の持つ、それぞれの距離感が分からなくなってしまいます。
2016年の瀬戸内国際芸術祭では、庭の中に盆栽を配しましたが、盆栽が空間の邪魔にならないように低い位置に置くなど、あくまでも空間の一部として配置することを意識しましたね。実は、打ちっ放しのコンクリートなどの無機質な空間には、盆栽のように生きているものを置いていくと似合うんです。盆栽には、空間を凝縮させるパワーがありますので。その空間の中での唯一の存在となるよう、写真や絵画を飾るような感覚で楽しむのがいいかもしれません。

だから僕が庭をつくるのであれば、静かな空間をつくります。全体に木を植えるのではなく、盆栽をポンと一つ。その空間を巻き込んでいくようなシンボルとなるものを置くのがいいですね。また、庭までのアプローチを楽しめるのもいいと思いませんか。僕は狭い路地が好きなので、細く長いアプローチを楽しんだ先に、盆栽のようなシンプルなものを置いた庭というのに憧れます。

当初は、日本文化を継承したいと思ってこの世界に入りましたが、作品を残していくことが継承ではなく、人を育てていくことこそ文化を継承するには必要だと最近になって気づきました。であれば、やはり次の世代をつくることが、僕の使命。盆栽に興味を持ってもらう間口を広げるために、パフォーマンスはもちろん、盆栽がある空間でみんなお酒を飲んだり、ワークショップなどの教室を定期的に開いたりと、これまでにない形で展開していきたいですね。そうすれば10万人に1人くらいは、盆栽を生業にしたいと思う人が出てくるのではないのでしょうか。そういう人と縁をつなげていけたら本望です。

平尾さん

盆栽パフォーマンスはあくまでも盆栽を一人でも多くの人に届ける手段だと話す平尾さん。世界を視野に入れた挑戦は、師匠から受け継いだ盆栽にかける情熱が、形を変えたものでした。そんな平尾さんが、盆栽という生涯をかけて向き合うものに出会うきっかけとなったのが東福寺で出会った庭園。日本文化を凝縮した世界をつくりあげていく平尾さんの背景に庭との出会いがあったように、人生の転機ともなるのが庭という存在かもしれません。

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